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Q.名古屋城について知りたい。 【観光・文化】

A.ご回答内容

■名古屋城について(歴史)

○名古屋城は、慶長5年(1600年)の天下分け目の戦であった関ヶ原の合戦後、徳川家康が江戸幕府安泰のために、東海道の要所として、また大坂(現大阪)方への備えとして築城したものです。

○徳川家康は、慶長14年(1609年)に清洲(現愛知県清須市)から名古屋への遷府を決定し、慶長15年(1610年)に加藤清正・福島正則らの北国・西国の諸大名20名に普請(土木工事)を命じ、築城が始まりました。慶長17年(1612年)に名古屋城の天守閣や諸櫓がほぼ完成し、その後本丸御殿や二之丸御殿が順次完成しました。

○家康の9男である徳川義直が初代藩主となり、その後、明治維新を迎えるまで約250年間、名古屋城は徳川御三家の筆頭である尾張徳川家の居城として栄えました。

○第二次世界大戦中の昭和20年(1945年)5月、名古屋空襲の際に、大・小天守閣、本丸御殿は焼失しましたが、三つの櫓(西北隅櫓・西南隅櫓・東南隅櫓)、三つの門(表二之門、旧二之丸東二之門、二之丸大手二之門)と本丸御殿障壁画の大部分は焼失をまぬがれ、国の重要文化財に指定されています。

○戦後の復興にともない、昭和34年(1959年)に天守閣は再建されました。

○本丸御殿についても、江戸時代の文献のほか、多くの写真、実測図を基に復元工事を平成21年(2009年)に着工。平成25年(2013年)5月には玄関・表書院を公開開始。平成28年(2016年)6月には対面所・下御膳所等を公開開始。本丸御殿は平成30年(2018年)に復元工事を終え完成し、6月に上洛殿を公開開始しました。

■金鯱について

○名古屋城にあってもっとも名高いのは金鯱です。城の大棟に鯱を掲げることは室町時代の前期、城郭形態の完成した頃から始まったと言われています。当時は火除けのまじないであったものが、後には城主の権威の象徴として大棟に飾られました。金鯱は尾張名古屋のシンボルとして昭和の世まで伝承されてきましたが、惜しくも第二次世界大戦の戦火により、天守閣と共に焼失しました。しかし、昭和34年(1959年)に天守閣が再建され、市民の前にその姿を再び見せるようになりました。

○雄(北側)/高さ2.621メートル、重量1272キロ、金板の種類18K、金板の厚み0.15ミリ、うろこの枚数112枚、金重(18K)44.69キロ

○雌(南側)/高さ2.579メートル、重量1215キロ、金板の種類18K、金板の厚み0.15ミリ、うろこの枚数126枚、金重(18K)43.39キロ

≪窓口≫
■名古屋城に関すること
○名古屋城総合事務所 052-231-1700
■おみやげに関すること
○(財)名古屋城振興協会 052-231-1655
■名古屋能楽堂に関すること
○(財)名古屋市文化振興事業団 名古屋能楽堂 052-231-0088

≪問い合わせ先≫
【名古屋城総合事務所】(電話 052-231-1700)

属性情報

人生の出来事
未設定
分類
観光・文化・施設  >  観光  >  観光・文化
FAQ ID
754
更新日
2024年04月01日 (月)
アクセス数
929
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